私の「世界感」
「せかい」の中心は自分だ。
なんて、大きな声で言ってしまうと周りの人は怪訝な目を向けるだろう。
〝自己中〟だなんて悪口があるけれど、自己中心的で何が悪いんだろう??
〝自分大事〟で何が悪いんだろう?
むしろ自分以外の何を解るというのだろう。
いつだって「自分がされて嫌なことは相手にしない!」という暗黙のルールから見たって、やっぱり結局自分を中心に物事を考えなければ始まらないではないか…。
救われた私
「救い」って言葉を使うと、
なんだかそれまでが地獄のように感じる。
自分はいつだって
現実の上にしかいられないのに、
自分はいつだって
現実の上に立っていただけなのに、
嘆いて苦しんで足掻いてもがいて喜んで救われて…
いつだって現実という舞台は
変わったことがない。
主人公
自分は物語の主人公ではないと思ったのは一体いつだっただろうか??
中学2年生とかそのくらいの時期に、自分を漫画の主人公のように思う時があった。
ある日突然 空からかわいい女の子が 降ってきて謎の力を与えられて闇の組織と戦ったり、パンを加えて学校に向かう途中でばったりイケメン転校生とぶつかっちゃうとか、窓の外からスナイパーに狙われてるんじゃないかとか、箒に乗れば空が飛べるはずとか、願えば魔法が使えちゃう…
なんて。本気で。。
でも、いつの間にか 自分は世界の脇役でしかないことに気付く。
角を曲がってもぶつかるのは周りが見えてないサラリーマンだったり、いくら願っても魔法なんて使えっこない。
そんなつまらないことで嘆いて悲しんだり苦しんだり…
世界はもっと夢や希望で溢れていると信じていた。
世界はもっとHappyで楽しいものだと信じていた。
いつだっただろう。
何もかもをつまらなく感じたのは…
いつだっただろう。
世界への否定を始めたのは…
本当に気付くべきは、
自分が主人公ではないという事ではなく
シナリオを描いているのが自分自身である
という事だったのかもしれない。
いつもの日常の延長線上にやっぱりドラマは転がっていた。
私の世界感
わかってる。
あまり理解されることがないってことは…
わかってる。
ちょっと疲れているだけだって…
わかってる。
ちょっと変わってるだけだって…
わかってる。
でもこれが私の「世界感」