うつ休み

只今"うつ"にて休憩中。ゆるりと更新予定

うつ休み前の私⑥最終回

引き続き、社会人として働いていたころのことを書かせていただいております。

 私がなぜ「中等度のうつ状態になってしまったか?」
 自分自身振り返りながら紹介していこうと思っています。 
    1. 仕事内容
    2. 働く時間
    3. 人間関係  は 
    4. お休み事情
    5. 突然の1カ月休みについて
    6. 1カ月のお休み中  は 
    7. 通勤方法の変化
    8. 働く時間の変化
    9. 仕事量の変化  は
    10. 私と上司の関係
    11. 私のSOS
    12. 大きなミス  は
    13. うつの症状  はからどうぞ。
    14. 診断と報告

      うつ症状がコントロールできなくなり、私は実家の近くの心療内科行く事にしました。この病院にした理由は【実家に近いから】という事と【10年前に1度だけ言ったことがあったから】です。

       

      病院は個人経営のような小さな診療所で、かなり 経験の深そうな たんたんとした 女性の先生でした。私は、先生が問診票をみながら「どうしたの?」と聞いてくれただけで、またも 涙が止まらなくなりました(笑)

      診断は中等度のうつ病双極性障害かも?)とのことでした。

      先生は「そうなんだね。そうだよね」と私の話をちゃんと聞いてくれて

      「うつの症状である部分は薬を飲めばちゃんと治るから大丈夫だよ。

      身体がつらいときは無理しない方が良いからね。休ませてもらいなさい。」

      と言ってくれました。次の診察は1週間後に行く事になりました。

       

      うつ病だと聞いて、私の感想としては『やっぱりな』というところで、(双極性障害というのはあまり聞いたことがなかったのですが…)

      病院へ行って 話を聞いてもらって お薬をもらうこと また、病気のせいだと思える事 で、他にはない安心感を少し得ることが出来ました。

       

      診断前も診断後も休まず、一応お店へは行くことが出来ていました。

      心療内科へ行く事〟うつ病と診断されたこと〟も上司やオーナーに言うべきかどうなのかわからず、言えないまま働いていました。

       

      きっと、なんでも報告連絡相談できるような仲だったら うつにもならなかったのだろうかな?どうかな?…(社会人としては仲の良し悪しではなく〝するべき〟なのでしょうが…)

      でも、一人で勝手に『お店の人に言ってもわかってもらえないかも』や『私が休んでしまうとお店に迷惑がかかる。』と思うと苦しくて、怖さがどんどん増していきました。

      そうすると、『一体どこまで頑張ったら私は認めてもらえるんだろう』『一体どこまで行けば私の異変は気づかれるんだろう』等と思うようになってしまい増々言いにくくなっていきました。

       

      薬の効果が出るのに少し時間がかかることは説明を受けていたけれど、それでも次の診療を受ける間の一週間はなんとか、泣きながらも頭痛や腹痛に耐えながら、どうにか仕事をしていました。

       

      一週間後、診察へ行ったとき 仕事に休まず行っていることに 先生が驚いていました。

      「仕事頑張るのも良いけど、病気を治すことを優先した方が良いからね。

      アルバイトなんだから、そこまで責任を負う必要はないわよ~。」と言ってくれました。

      それでも、一応そのまま頑張れるようにと薬を増やしてくれて…また1週間後に来るよう言われました。

       

      先生の言葉を受けて私は素直に『そうだよな。』と思いました。

      その時の日記には、

      『やっぱ、辞める勇気や休む勇気も大事だな。明日お店に行ったら「自分はうつ病になってしまったので今月いっぱいもしくは来月いっぱいで辞めさせてください」って言うしかない。もうしょうがないことだ。大丈夫。未来の私は私の味方!!どうか言えますように』なんて書いてあった。

    15. 仕事を辞めるまで

      さて、次の日…結果からいうと…言えませんでした。

      朝 早めに行って言うんだと決意していたんだけれど、その日に限ってが降ってしまい また遅刻ギリギリのタイミングで出勤してしまった(*_*)

      ただ『言うのが遅れると辞めるのも遅くなっちゃう』という自覚はあり、『次の日こそ!』『次の日こそ!』と

      …言えないまま2.3日が経ちました。

      そして、薬は毎日飲んでいたにも関わらずうつの症状はドンドン悪化していきました。

       

      最終的に『もう限界だ。今日こそ言おう。』と思ったその日、オーナーの前で小さなミスをしてしまいます。

      うつの状態で仕事をしているので、頭痛や 立ちくらみ 体の重さ 頭が働かない等でミスは沢山してしまうのですが〝うつである〟という事も言えず〝しんどさ〟言えず〝どうしたの?〟等と聞かれることもなく、自分から言うことも出来ないでいた為、職場の人からは怠けて見えたのかもしれません。

      オーナーからその時のミスについて

      「いつもいつもミスして怒られてんじゃねぇよ!分かんねえならちゃんと聞けよ!上司の人からも言われてんだろ?!なんで同じことで怒られてんだよ!そのままじゃダメなんだよ!努力が足りないんじゃないのか?!!もっと努力しろよ

      と、めっちゃ怒られ(怒鳴られ)ました。

      はい。それはもう心にグッサリです(;_:)

       

      『これ以上どぉしろってんだ、こんなうつになるまで頑張って精一杯やっているのに なんで どうして 誰もわかってくれようとしないんだ、私が全部悪いのかな、私がもっと要領よくできればいいのに、もっと頑張ろうと思ってたのに身体が重くて 上手く動けないんだよ、もっと頑張ろうと思っても 頭が上手く働かないんだよ、もっと頑張らなきゃって言われなくてもわかってるのに 出来ないんだ、無理なんだよ、うつなんだ!言わなきゃ!早く!休みをもらおう!やばい!』

      涙を流しながら、ぐるぐるとそんなことを思っていたら、どんどん息をすることが出来なくなる。わかってほしいと思えば思う分だけ息を吸ってしまう。涙を止めて話をしたいと焦れば焦るほど呼吸が早くなってしまう。そして早い呼吸を繰り返すうちに、体がこわばって、冷たくなって、痺れていく。脳まで痺れ始めたように感じた。

      私は、過呼吸になってしまっていた。

       

      どうにか上司が私の状態に気付いてくれて、対処法とか調べてくれて助けてくれた。

      過呼吸は紙袋とかじゃなくゆーっくり吐く呼吸を意識して安静にしていることが大切ですよ!(笑)どうにか帰れるくらいに回復してその日は返してもらった。

      オーナーもバツが悪かったのか「大丈夫か?なにかあったら上司に連絡するんだぞ!明日も調子悪ければ、上司に行って休んでいいから…」と言ってくれた。

      その言葉がその時は凄く有難かった。

    16. 仕事を辞めた日

      次の日。日曜だったんですけど、

       

       朝、起きて 一応 仕事の準備は始めました。

      それでも全く意欲が出ず 本当に 感情がどこかへいってしまったかのような 本当に〝何もできない〟状態になってしまいました。身体もふらふらとするし『これは本当に仕事どころじゃない』と思い、とりあえず上司に連絡し 昼からに してもらい、一旦寝ることにしました。

       

      しかし、昼もやっぱり調子が悪くて…『休みたいな』と思っていたけれど、この流れで休むことは 本当に上司にもオーナーにも 申し訳ないな。と思ってしまって…

      母に 第3者的な目で見てもらおう 相談しよう!と思って 母に電話すると

      「今 電車に乗って 私の家に向かっているの。あともう少しでつくから」と言われました。

      『えっ?!』ビックリしました。

      母にはうつ病と診断されたことも、それをなかなか職場の人に言うことが出来ないことも、過呼吸になってしまったことも、朝調子が悪くて昼からにしてもらったことも、全部言っていました。

      それでも『成人している大人の母親が 子供の職場へしゃしゃり出てくる』事は、なんとなくダメというか…嫌というか…常識的に考えて無しだなと思い「大丈夫。ちゃんと言うから」という風に言っていました。なので この母の行動には素直に驚きました。

       

      仕事へ行く準備をしながら もうすぐ着くという母を待ちました。

      朝、上司へ電話した時 何時か はあえて決めていなかったので、

      時間に焦ることはなかったです。

       

      母が来ると、私を見て「仕事行けるの?!」と本気で心配されました。

      その時母は、私の部屋に入った瞬間 よどんだ空気を感じ 真っ暗な部屋で うつろな目をしながら歯磨きをする私に『これはヤバい!!まじでヤバい!』と思ったそう(笑)

       

      母に「もう限界だよ。私がお店まで行って、話してきて、辞めてきてあげる。このまま行っても 仕事に身が入るとは思えないし、ちゃんと説明すれば わかってくれると思うから。それでもいい??」と言われ、私は『もうその通りでしかないし、私が言って説明できるとも思えないし、もはや仕事も外出すら何も出来る気がしない』という感じで、母に任せてしまうことにしました。

       

      休むとかではなく辞めるという決断をしたのは、もう少し元気な時の私で コミュニケーションが上手くいっていない 今の職場では いくら休んで元気になっても 同じことの繰り返しのような気がしたし〝3年頑張った〟という事に自分としての達成感のようなものを感じていたからです。

       

      母に任せて、待っている間 本当に自分の情けなさが嫌になりました。

      今までの事も反芻してしまってたった1.2時間がとっても長く感じました。

       

      それでも、母に任せたことでとてもスムーズにことが進みました。

      そして、母の「辞めてきたよ!大丈夫だったよ!無事に終わったから!」という言葉で

      私の3年間の社会人生活は幕を閉じました。

       

      決して褒められた終わり方ではないですが、

      そうすることで救われた 私という人間は確かに居て

      そうすることでしか救うことが出来なかった とも言えるし

      自分の力というものだけが自分の力じゃない といいますか

      助けを求める手を見つけてくれる人もいた といいますか

       

      誰もが皆、清く正しく美しく生きてるわけじゃないよ

      私なんかこんなダメダメな奴だぜ。って感じで…

      未来で笑い飛ばしてくれる自分がいる気がするから

       

      もしかしたら、この記事を読んで救われる誰かがいる

       

      …かもしれない。笑

       

      長々とお付き合いありがとうございました(*- -)(*_ _)ペコリ

       

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