うつ休み

只今"うつ"にて休憩中。ゆるりと更新予定

小さな小さな勇者

 

 

行ってきますと制服着て
家を飛び出したはいいけれど
一歩外に出て固まった
これから起こる出来事を想像して


前を歩く少年を見て
なんて勇者なんだと驚き崇める
私は勇者にはなれないな
勇気なんてちっともないな


同級生とする会話も なんてことない授業も
出来ないな、なんでかな、
こんなに涙が出るなんて


あぁ 周りのみんな当たり前のように前に進む
あぁ 動けないでいるのは私だけなのかな?


行ってきますと制服着て
今日こそ行こうと飛び出したけれど
やっぱり私は勇者じゃなかった
簡単に引き返してしまう


制服姿の自分見て
なんて情けないんだと責め立てる
皆と同じが出来ないな
こんな私なんて許せないな


あの学校のどこにも私の居場所なんてないし
私の名前をつけてくれたあの席も
きっと来ないと言われて物置状態


いつの間にかなにもかも怖くて動けなくて
誰からも気にされないはずの自分を自分が自分で気にするから気になるから…あーバカみたい


あぁ 周りのみんな当たり前のように前に進む
あぁ 動けない私がいつの間にか進んでた
あぁ 動けなくたって勝手に地球は回ってる
時は進んでる 時代は変わる
せめてせめて 呼吸だけは自分でやめない

f:id:jammy248:20190612001210j:image

母と娘のバトル⑤

 

その頃小学校では、中学受験のムードが高まっていた。

 

学校に行く時間を受験勉強に当てているお友達もいた。

私も、そういう事にした。

母も、そういう事なら 納得してくれた。

 

お昼に家庭教師の先生に来てもらい、自宅でつきっきりで勉強を見てもらった。

そうすることで、確かに偏差値は伸びていったし 分からないところが どんどん分かるようになった。

 

家庭教師の先生は 気のいいお母さんのような人で 私は結構好きだったし、時間があっという間に過ぎていくので充実感もあった。

 

学校へは相変わらず、行ったり行かなかったりのまま……

それでも、もう毎朝 揉めるようなことはなかった。

 

 

1月の後半辺りからは、クラスの人数が半分になった。

受験の日はとても寒く雪が降る中、塾の先生が応援しに駅まで来てくれたことを今でも覚えてる。

 

合格発表は家のパソコンでみた。

 

自分の番号があった時は何度も確認した。

自分の番号が無かった時も同じように何度も確認した。

 

 

『あぁ、コレでもう勉強しなくていいんだ』

 

合格した事実より、今までの全てが終わったという事の 達成感や安心感を感じた。

 

小学4年生から約3年間の受験勉強はこうして幕を閉じた。

 

 

学校へ行くと皆 進学先の学校の話ばかりしている。もちろん、私も同じだった。

 

制服も可愛くて偏差値もそこそこと引け目を感じることはあまり無かった。

 

それでも、今まで一緒に過ごした仲間とも言える友達と離れ離れになるのはやっぱりどこか寂しかった。

 

 

………⑥へ続く

母と娘のバトル④

 

最近、私は学校へ行かない。

 

 

はじまりは持久走大会の日だ。

 

強制的に参加させられる持久走大会が嫌すぎて嫌すぎて、サボってしまったのだ。

 

これまでインフルエンザや熱が出た時以外で、学校を休んだことがなかった私は罪悪感で心がいっぱいになってしまった。

 

 

次の日も学校を休んでしまった。

もうクラスの皆に合わせる顔がない。

皆苦しい思いをして走り切ったに違いない。

それなのに私はズルして休んで、、、

 

 

それでも流石に、その次の日は学校へ行くことになった。

朝、お母さんにキレられて もう行かない訳には行かなかった。

 

学校へ行くのがこわい。

6年間通い慣れた通学路を重い足取りで歩く。

クラスの皆になんて責められるんだろう。

クラスの皆は私に何を思っているだろう。

 

 

クラスの扉をガラッと開ける。

 

そこにはいつもと何ひとつ変わらない日常が広がっていた。

 

私に気づいた友達が「おはよう」と声をかける。

私は「おはよう」と挨拶を返す。

 

特に責め立てられたり休んでいたことに触れる訳でもなく、いつもと何も変わらない日常が始まった。

むしろ休んだことすらなかったかのように…

 

 

あぁ、なんだか気持ち悪い。

なんだか、違和感を感じる。

 

私なんか居なくとも関係なく世界がまわる。

私なんか居なくとも関係なく日常は進む。

私なんか居なくても関係ないんだ。

 

 

そう思ってしまうと学校へ行く意味なんて、一瞬で消え去って行った。

今までなんの為に学校へ行っていたんだっけ?

 

 

学校へ行かなくとも、家のパソコンから情報は得られる。

学校へ行かなくとも、勉強は出来る。

学校へ行かなくとも、友達はいる。

 

 

なんで学校へ行かなくちゃいけないのだろう…

 

 

「学校は行くもんでしょ!」

 

お母さんに聞いても、そんな答えじゃ全然納得出来ない。

 

かと言って、自分が学校へ行きたくない理由も上手く言葉で表せなくて…

 

 

毎朝 毎朝、怒鳴られる。

「行きたくない」だけじゃダメなのかな。

こんなに泣いてすがって訴えてるのに…

 

「行きなさい!!」

バチン

 

ビックリした。殴られた。驚いた。

もう無理だ。誰も私の事を分かってくれない。

もう嫌だ。何もかも。

もうダメだ。私も母も………。

 

 

 

………母と娘のバトル⑤へ続く。

母と娘のバトル③

 

 

最近、娘が学校へ行かない。

毎朝必ず「行きたくない」と言う。

かれこれもう1ヶ月くらいになる。

 

 

ほら また、はじまった。

 

なんで『行きたくない』のか問い詰めても、泣くばかりだ。

 

 

それじゃあ、ちっとも分からないじゃない!!

 

バチン

 

 

…衝動的に手が出てしまった。

娘は頬に手を当て、驚いたようにこちらを見ている。

 

私も驚いている。。。

まさかのビンタだ。

 

 

でも、このままじゃ……

この子はダメになってしまう!!

 

娘は布団にくるまって、もう一生布団から出てこないように頑なになってしまった。

 

 

「もう知らないからね!」

 

そう言って家を出る。

叩いた後の娘の顔がよぎる。

 

 

あぁ、どうしたらいいんだろう…

なんでこんな事になってしまったんだろう…

なにがいけなかったんだろう…

 

「なんで」「どうして」が頭の中をぐるぐる渦巻く。

 

 

…少し遅れて会社へ向かう。

何気ない毎日だ。

 

 

へ続く

母と娘のバトル②

 

 

娘はこの頃学校へ行かない。

 

最初に甘やかしてしまったのが悪かったのか、毎朝 私は大声を出してばかりだ。

 

どうにかして、学校へ行かせるのだけれど

 

毎日毎日「行きたくない」とダラダラダラダラ……

 

 

行きたくないじゃないわよ!

 

親の目から見て、学校の成績も悪くはないし、周りの友達とも上手くいっているし、なんで行きたくないのかが分からない。

 

ただ単に「朝が弱いからもう少し寝たい」なんて甘えた気持ちで怠けてるんじゃないかなんて思ってしまう。

 

 

「なんで学校行かなくちゃいけないの?」

 

なんて聞かれたって

 

「学校は行くもんでしょ!!!」

 

そんなの疑問に思ったことすらないわ。

学校は行くのが当たり前だし、教育は親の義務なんだから…

 

 

あぁ、またこんな時間…!!

 

「ちゃんと行くのよ!!」

そう言って家を出る。

 

ココ最近はなんだかギリギリの日が多いわ。

 

 

……娘はちゃんと学校へ行ったかしら?

 

 

……へ続く。

母と娘のバトル①

 

 

ある日、娘が

「お腹が痛いから学校へ行きたくない」

と言った。

 

 

その日は 持久走大会の日だと知っていた。

 

 

「行きなさい」とは言うものの、お腹が痛いというなら仕方がない。

娘が走ることを得意としてないことは分かっていたし、半分仮病だろうと気付いていたけれど休むことを容認した。

 

私も働いているので、朝から娘と揉めてられない。

 

「明日は何でもない顔して学校へ行くだろう」

そう思って仕事へ出かける。

 

帰ってくるとやっぱり何でもなかったように私を迎える。

 

 

何気ない日常だ。

いつものように眠って いつものように起きた。

 

 

翌朝、娘は

「お腹が痛いから学校へ行きたくない」

と言った。

 

今日は持久走大会の日でもないし行きたくない理由がわからない。

 

「そんなこと言ってないで行きなさい」

 

一回休んで味をしめてしまったのか、うずくまったままピクリともしない。

 

「遅刻するわよ」

 

 

あぁ、そんなこと言っている間に私が会社に遅刻しそうだわ…!

 

 

「ちゃんと行くのよ!!」

うずくまったままの娘に声をかけて家を出る。

 

 

私は正社員として普通に働いているため、娘より少し早く家を出ないと間に合わない。

 

 

私がいなくなれば、なんだかんだで学校へ行くであろうと思った。

 

 

けれど、娘は学校へは行かなかった。

 

 

 

……へ続く

不登校の朝

 

 

毎日、寝る前に「明日こそは学校に行かなきゃいけない」と思って目覚ましをかける。

 


次の日、目覚ましがなったタイミングで 起きれる時起きれない時がある。

 


その後、お母さんが用意してくれたご飯を食べる。

 

皆が出かけるのを見送って もう一回寝る日もある。

 


〝制服を着る事〟に少しの勇気が必要だ。

 


制服を着てからも時間を見ながら 〝家を出る事〟に勇気を使う。

 


遅刻をしたくはないけれど、沢山の生徒が歩いてる中に一緒に歩くことは出来ない。

 


時間には遅れてしまうけれど、通学路に人が居なくなるくらいのタイミング家を出る。

 


家を出た後も、近所の人の目を気にしながら歩かなくてはいけない。

 


家を出てすぐ同じ制服を着た顔も名前も知らない男の子に気づく。

 


すぐ様、物陰に隠れてやっぱり今日は無理だと引き返した。

 


すごく悲しかったし、悔しかった。

こんなことも出来ないのかと。

私はLv1の勇者にすらなれないんだと。

こんな簡単なミッションも私にはクリアできないんだと。 

 

遅刻する時間だと言うのに急ぐことも無く怠そうに歩いていたあの男の子が、私にはLv100くらいの勇者に見えていた。

 

 

f:id:jammy248:20190413145552j:image

中学受験

 

誰しもひとつは、大なり小なり過去の栄光というものがあると思う…(´-ω-`)

今が惨めなら、尚更光輝いて見えるのが思い出の美化というヤツでしょうか??

 

私にも過去の栄光はある。…そりゃもう沢山(笑)

それでも、一般的に自慢出来るのは2つだけ。

  • 中学受験に合格したこと

 

マーチングバンドのことは前に自慢しているので(笑)

今回は中学受験の話をしようと思います。

 

 

 

 

私は、小さい頃〝難しいこと〟をやりたがる子で、失敗を恐れず どんどん いろいろなことに挑戦たりしていた。

 

勉強することは好きで『わからないことがわかるようになる』という事をすごく楽しく感じていたし、『出来た』という達成感が好きだった。

 

 

4個年上の兄がくもんを始めると、自分もやりたがって一緒に通ったり…

兄が中学生になると、塾に通い始め それを見て自分も受験をしたくなった。

 

 

私の小学校では、クラスの3分の2くらいが 中学受験をするための塾に通っていたので、受験することが当たり前のように感じていたし そんな空気が流れていたように感じた。

 

親も共働きだったので『子供のしたいようにさせたい』という教育方針の下、中学受験をすることになった。

 

 

中学受験のことを思い出すと…

どうにも私の人生のもったいなさというところに どうしても目が行ってしまい後悔が頭をよぎってしまう。

 

私が合格した中学校は大学までエスカレーター式になっていて、入ってしまえば大学まで受験せずに卒業出来るような所だった。

 

偏差値もそこそこ

中学校が 53

高校が 68

大学で 57(50~63)

私にもエリートルートがあったのだと、数値にしてしまうとより切なく感じてしまう。

 

学歴や偏差値だけが全てと思うことは無いのだけれど、少なくとも平日の真昼間に枝毛を切って時間を潰すようなことはしてないんだろうな…みたいな(笑)

 

 

小学4年生から中学受験用の塾に通いだすのですが、、

小学6年生の10月くらいに不登校になってしまいます。

 

まぁ、最初は母も父も「私が学校へ行かない」ということを認めてはくれない訳です。

そこで、壮絶なバトルが繰り広げられるのですが…結局『学校へ行けない』という自体になり、学校に行かない時間を受験勉強の時間に当てることで とりあえず納得してもらいました。

 

私の志望校選びの動機は

  1. 制服が可愛いこと
  2. それなりの偏差値
  3. 出来ればエスカレーター式

特に1番は超重要ポイントでした!!

……子供でしたね(笑)

 

そして、さらに幼稚であったのは「第一志望に合格しない訳が無い!」というの自信…。

 

はい。完全に裏目に出ました(´-ω-`)

なんかもうこの時点でおバカがバレてる気がします(笑)

 

合格したのは第二志望の学校で、家から電車で1時間15分。

乗り換え1回とはいえ、中学生にしては遠すぎです…。

 

私は…通えませんでした(´-ι_-`)。

まともに通ったのは最初の1.2ヶ月だけ。

もちろん行く為に入学した訳なので、頑張って行ったり行けなかったりを繰り返しました。

 

中学2年の中頃、行ってもいない私立の学費と寄付金を払い続ける親の姿を見て 私から「近所の公立の中学へ転校する」と話しました。

 

その時、私が必死に守っていたプライドみたいなものがバキッて折れる音が聞こえました。

 

 

………暗い話になっちゃいましたね(--;)

まぁ、そういうことなんですよ。笑

不登校の時、色々試したんですよ!

行きたかったから!!!

でも、まぁ結論はコレですね。

この頃から私の闇は育っていったという感じ(笑)

〝不登校〟ということ。

こんにちは~

不登校のお話を急に初めてしまったんだけど…

それより前にしようと思ってたお話がありました(*´ω`*)笑。。

 

私は不登校〟ということをどう思っているのか。

私は中学の3年間、ほぼ学校に通っていなかったんです。 

行きたくても行けなかった。とも言えるし

そもそも行きたくなかった。とも言えるし

行ったこともあるけど 行かなかった日の方が多い。と、言う感じで…

そんな不登校だった〟私が、不登校について思うこと。

 

うーん(-_-)結論から言うと、

不登校じゃなかったじゃない。

ですかね(*'▽')!

…はい。わかりにくいですね(笑)

 

 

 私は中学生3年間ほぼ不登校で、その時から約10年が経ち やっと自分の中で受け入れるスペースが出来て 周りの人にも笑って話せるようになりました。

 

周りの人の反応としては

「え?!見えない~(゚д゚)」とか

「そうだったの( 。・-・。`)?!」とか

「普通の子じゃん(>_<;)!?」とかかな?

まぁ、自分から言わなきゃわかんないみたいでびっくりされますね(笑)

それくらい"不登校"に対して、世間はまだまだ偏見があるのかな?と、思います。

 

なので 不登校の時の私は、自分の未来を全く想像出来なかったです。

言葉通り「お先 真っ暗」としか思ってなかった…。

世間の偏見という荒波が私をのみ込んでしまうとばかり思っていたのです。

 

 

その当時の私に、今 声をかけられるとしたら

大丈夫。その先は出会う全てが宝物になる」

なんてことでしょうか?

 

〝無職で実家にお世話になっている〟という事実は皮肉にも不登校の時と全く一緒です(笑)

 

それでも、今の私が 持ってる全ては 私自身の宝物になったな。と本気で思ったりします。

 

 

だからこそ、こうして 言葉にすることが出来るし あなたに読んでもらえているのだと思います。

 

 

"不登校"というのは、自分を大事にすることが出来たという証だと思います。

 

弱くても、恥ずかしくても、綺麗じゃなくても、間違っていたとしても、

私は私でしかいられないから…

 

逃げてもいいし、隠れてもいいのです。

怖いと思うなら立ち止まってもいいのです。

苦しいと思うなら辞めたっていいのです。

間違ったと思ったらやり直せばいいのです。

迷惑をかけてしまったら謝ればいいのです。

 

今の私にとっては 不登校ということ だけが、私の全てではないから。

 

10年経った今は、そんな風に思うことが出来るようになりました。

出会った全てに感謝ですね✨

 

皆さんもいつもありがとうございます。

 

不登校のはじまり

こんにちは~(´▽`*)

 

えぇ、まずは 昨日 さらに読者登録していただいた方々が 沢山いらっしゃって、本当にありがとうございます(*- -)(*_ _)ペコリ

『凄いなぁ~』って純粋に思いました。笑

とってもありがたいです(*´ω`*)

これからどうぞよろしくお願いいたしますm(*_ _)m

 

はい。そして本題の方に移っていきたいと思います。

不登校のはじまり

皆さんの周りに不登校の子っていますか??

ネットで調べると、1000人中 32.5人。

まぁクラスにひとりくらいというデータになってますね。

 

普通に学校に通うことが出来ている方にとっては不登校って理解するのが難しいことだと思うんですよ。

 

「なんで学校行かないの?」

「学校で何か嫌なこととかあったの?」

「学校に行かないで何やってるの??」

なんて質問は当時しょっちゅう聞かれました。

 

「うーん(´-ω-`)」

 

ですよね(笑)

そんな感じなんですよ、不登校的には!笑

 

まぁ不登校さんにも いろんな方がいて、私だけを基準にするべきではないと思いますが、私の経験的には『うーん(´-ω-`)』なんですよ(笑)

 

そんな私の不登校を少しづつ紹介していこうと思ってます。

よろしくお願いいたします(*- -)(*_ _)ペコリ

 

続きを読む

↓ 仲間に入れていただいております

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村